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自分軸で考え行動する人の育成へ。自分軸が主流となる社会へ向けて


 

【ブログ内項目】

Ⅰ はじめに

Ⅱ 他人軸の育成の現状

Ⅲ 他人軸で考え行動する人が主流の社会と課題

Ⅳ 他人軸から自分軸が主流となる社会とは

Ⅴ 自分軸で考える人の育成へ

Ⅵ 摂津市教育大綱の改定

Ⅶ 議事録

Ⅷ まとめ

Ⅸ 関連リンク

 


Ⅰ はじめに

 

 自分軸と他人軸という言葉があります。

 

 自分軸とは自分の心・感情・信念など内発的動機で考えて行動することで、他人軸は他人の期待・社会的な評価・周囲の反応など外発的動機で考え行動するというものです。

 

 これはあくまでマクロの視点ですが、今の日本の教育は、自然と他人軸で考え行動する人を育成するようになっていると捉えています。その結果、日本は他人軸の方が主流の社会となっています。

 しかしながら、私は他人軸よりも自分軸で考え行動する人を育成し、自分軸で考え行動する人が主流の社会になることが望ましいと考えています。

 

 その理由について述べてみたいと思います。


Ⅱ 他人軸の育成の現状

 

 日本の教育において感じること。

 

 これはあくまでマクロの視点ですが、今の日本の教育は、自然と他人軸で考え行動する人育成するようになっていると捉えています。これを本質や評価並びに教育要領で考えてみたいと思います。

(他人軸は他人の期待・社会的な評価・周囲の反応など外発的動機で考え行動する。)

 

1.日本の教育の本質について

 義務教育というものはそもそも明治政府の「富国強兵政策の一環」ではじまりました。その義務教育の目的は、国に貢献できる「国家に望ましい人材」の育成に他なりません。

 そして戦後においては「GHQの政策」等により教える内容は変わったものの、「国家に望ましい人材」が、当初は「米国にとって望ましい人材」、その後は、高度経済成長期を支えるために「企業・社会にとって望ましい人材」の育成になっただけで、本質的には明治から変わっていないのが実態かと思います。

 その本質とは、即ち時の政府・統治機構にとって「望ましい人材」を育成するというものです。

 

2.評価について

 この「望ましい人材」の育成においては、国から学習指導要領といった基準が示され、子どもたちはその基準を達成するような教育が行われることです。そして達成しなければ低い評価がつけられます。

 この結果、子供たちは自然と他者からの評価を気にするようになり、それに応える行動を取ることとなります。これが他人軸で考える思考回路の育成となるわけです。

 人の個々の能力・資質はばらばらであり、そこに基準を設ければ差が生まれます。一定数は低い評価となり、優劣が生じます。子供同士で比較して優劣を競い合ったのは私の記憶にもあります。自己肯定感が低くなったり他者との比較を意識せざるを得なくなります。

 「自己肯定感「低い子供」が減らない日本の危うさ」によると、小学3~4年生(10歳)頃から自尊感情が低下し、中学生の年齢にかけて低下し続けているとのことです。義務教育にて自己肯定感が下がるという事はそもそも問題なのです。

(私自身の経験を紹介すると、私が中学生の時、通知表にて音楽が5段階評価で2を取ったことがあります。それは私にとって衝撃でした。それなりに真面目にやってきたのにと。それは私に音楽への苦手意識をつけただけで、アフターフォローも何もなく生きる力の育成に役立ったとは全く思えず自己肯定感を下げただけものでした。)

 

3.暗記型の教育要領について 

 暗記型の教育も他人軸の育成に繋がっています。

 「日本と海外での教育の違いとは?世界の教育制度や特徴を徹底比較!」によると、海外は日本でありがちな暗記型・知識詰め込み型教育ではなく、考えて導き出すことを重視した教育で、日本のような暗記力が問われるテストをすることはほとんどありません、という事が記載されています。自身の経験や今の現場でも実際に小学校・中学校のテストは暗記ばかりです。

 上から与えられた正解の中で育つと、社会に出ても正解を他者に求めがちです。それは人により政府、大企業、マスコミ、芸人、インフルエンサー、宗教家、医者・学者といった権威のある者と様々です。

 例えばマスコミでバナナが身体に良いと有名芸能人が取り上げれば翌日のスーパーではバナナが売り切れる事象はその典型と私は捉えています。(流行とはマーケティングの一つと言えます。)

 

4.その他

  更なる詳細はブログ「自分軸と他人軸で考える人の違い」(2024年7月26)をご参照ください。 

 

 

 以上1~4を踏まえて、日本の教育は他人軸で考え行動する人を育成していると考えるわけです。勿論マクロの視点であり、例外は多々あろうかと思います。また1~4以外の要因もあろうかと思います。

 例えば「村八分」という言葉があります。「村のおきてに従わない者に対し、村民全体が申し合わせて、その家と絶交すること。」というもので、村社会での習慣というものの名残りがあり、教育と合わせて強化された、ということもいえます。

 そういった上から与えられた物差し、また同調性の高い物差しで、モノを見るようになっているともいえるのではないでしょうか。


Ⅲ 他人軸で考え行動する人が主流の社会と課題

 私が以前の職で海外派遣に参加した際、ブラジル軍と仕事する機会があり、担当のブラジル軍少佐と雑談する中で、「日本の社会はシステム化されてて素晴らしいよね。」と評価されたことがありました。

 私はその時、日本の自殺者が例年2~3万人という事を認識しており、そんなに自殺者が多いシステム社会は果たして素晴らしいのだろうかと正直疑問でした。ただそれは口に出しさず、「ありがとう。ところであなたの国はどうなの。」と返し、彼は「ブラジルはカオスだよ。」と答え、互いに笑ったという出来事※がありました。

 このやり取りは、世界から見て、日本の社会がシステム化された社会である、という気付きになり、印象に残っています。それ以外でもその時のハイチの状況や他国軍の行動等を鑑みてもそう思うところとなりました。(※両者ともに第2言語の英語を使用しており意訳となります。)

 

 

 日本の教育が他人軸で考え行動する人の育成となっている以上、日本の社会は他人軸の人が主流であるといえます。

 

 そして、ブラジル軍少佐の「日本の社会はシステム化された社会」という言葉を借りると、

 

 日本は「他人軸で考え行動する人が主流のシステム化された社会」と言えるわけです。

 

 私はこのシステム社会はあまり望ましいと思っていません。

 厚労省資料によると令和6年で日本の10代及び20歳代の死因の第1位は「自殺」であり、これらの年代の自殺死亡率はG7各国の中で最も高いとのことです。

 (【自ら命絶つ15~29歳の若者が3000人超と高止まり、未遂歴も多く…「自殺対策白書」閣議決定】読売新聞オンライン2025/10/24)

 世界的に見ても自殺者が多いこの現状を、私は現システム社会の弊害と捉えています。他人軸の考えでは社会があっての自分であり、どうしても社会の歯車として動くことが求められます。システム化されていれば尚更です。それは個人の幸せよりも社会を優先せざるをえなくなり、個人の幸せを犠牲にしやすく、また社会や周りに合わせなさいと同調圧力を生みやすくなります。

 

 特に同調圧力はコロナ禍で明確になりました。コロナ禍の終わり頃にマスク着用が身体的にできない児童に対する嫌がらせ、地域住民からの心無い言動などで悩んでいる保護者の相談を受け、教育委員会と多々やり取りしました。その頃にはウィルスへのマスクの効果が限定的であるとか科学的根拠もでてきたにもかかわらず、皆がマスクしてるからとか、マスコミの情報を鵜呑みにして行動し、他者を平気で傷つける。監視社会ともなり負の部分がさらけ出されました。

(詳細はブログ「強く懸念される子どもたちへのマスク着用の弊害」2022年10月16日を参照下さい。)

 

 また、この社会の弊害として正解を作り出す方々(評価する側)が強くなる、というのも挙げられるのではないでしょうか。

 正解を作り出す方々、例えば政府、学者・医者、芸能人といった方々で、彼らがマスコミという媒体を使って、あるいは協力しながら大衆に影響を及ぼしていきます。その影響はコロナワクチンで一層見えたかと思います。時には上から与えられた正解が実は不正解であっても正解として押し付けられることもあります。

(詳細はブログ「新型コロナワクチンの有効性や健康被害の実情と令和5年度の臨時接種スケジュールなど」2023年3月31日を参照下さい。) 

 

 そして正解を作り出す方々に権威と権力を与えるのを正当化するために学歴社会(ある意味で科挙制度)がある、ともいえます。学歴社会と現システム社会は一体的であり、人々は学歴で選抜されていき、特にトップ方々は英才教育を経て、それぞれが就いた政治・行政、大企業、マスコミ、業界などで繋がり利権というものを回していく。その利権を維持するために世襲に努めていく。そういう利権の囲い込み構造も見てとれます。

 財を成し、その財を子の教育に注ぎ、資格を得させ、その資産を継がせる。教育システムが利権構造の維持を支える重要な柱という見方もできます。これらは階層の固定化に繋がります。公平そうに見えて実は公平でなかったりという事となります。

  こちらの記事も面白いのでご紹介します。

 【受験戦争に過剰適応したいびつな社会|shinshinohara

 「だから私も子どもを塾に通わせ、中学受験を」という人ばかりになると、社会がいびつになる。今回はそのことについて考えてみたい。

 ①貧富の格差が拡大・固定化する、②公教育の機能不全、③能力に偏り、④リスクを嫌う人材に育ってしまう、⑤燃え尽き症候群の若者を増やす、➅少子化が進む、⑦学歴の価値の低下、⑧家庭の幸せの崩壊、⑨地方の格差が拡大、⓾点数化できるものしか評価できなくなる社会、⑪遊んだことのない子どもの増加、

 「個」を考えた場合、今の社会情勢で塾通いを選び、中学受験を目指す親が多数現れるのは無理もない話かもしれない。しかし、このままでは「合成の誤謬」が起き、社会自体が病む恐れがある。社会設計をもう一度考え直す必要があるように思う。

 

 このような社会の中で、ドロップアウトすること、またその同調性についていけない事は誰にでもあります。自分でなくても子ども、あるいは孫がそうなる可能性はあります。他人軸の考えの人が主流のシステム社会は、弱者あるいは同調しない少数者、またドロップアウトした人がリカバリーしづらい、そういった観点では生きづらい社会ともいえます。無くならないいじめ問題や、不登校問題もその一つと捉えることができます。

 

 

 人として生を受けた限りは個々が尊重されるのが当たり前の事ですが、現実的には多くの課題を抱えているわけです。

 

 

 私はこの課題に対し、自分軸で考え行動する人が主流になることで少しは克服できるのではないかと考えています。


Ⅳ 他人軸から自分軸が主流となる社会とは

 

 自分軸で考え行動する人を育成するという事、それは社会を良くするという事です。

 (自分軸とは自分の心・感情・信念など内発的動機で考えて行動する。)

 

 自らの信念で行動するということは、当然自身に自信と誇りがあるわけです。自分に自信があれば他者と比較することもなく嫉妬や妬みもない。他者の評価で一喜一憂することもなく、相手を思いやって相手に合わして行動できるし、かといって同調圧力をかける事もない。自分より弱い相手にマウントを取ることも無い。

 

  ちょっと理想過ぎるかもしれませんが、こういう人が多ければ多いほど平和になることは言うまでもありません。

 

 もともと日本人が持つやさしさと協調性、そして自分軸の考えとが合わされば、誰しもが生きやすい素晴らしい社会は確実に実現できる。そう思うところです。

 

 また、私はシステム社会自体は効率的で否定するものではなく、カオスよりずっと良いと考えています。ただ人々が社会の効率化のための歯車になるのではなく、個々の幸福の追求の結果、自身の役割を見出して力を発揮し、それぞれが組み合わさって効率化した結果のシステム社会が望ましいと考えています。


Ⅴ 自分軸で考え行動する人の育成へ

 

 自分軸で考え行動する人を育成するにはどうすべきでしょうか。

 

 まずは自分軸と他人軸という言葉を知ることが大切です。この言葉を知れば自身の考え・行動を客観的に見ることができ、全てとはいかないまでも、少しでも自分軸よりに考え行動することが実践できます。

 

 よって周知することが求められます。

 

 そして教育において、一人一人の資質・能力の違いを認め、定められた基準をクリアさせるというものではなく、個々の力を伸ばすという姿勢が大切になろうかと思います。

 

 「社会にとって望ましい人材」の育成ではなく、「社会で幸せに生きていける人」の育成に本質を変えることが大切です。

 

 

 それを踏まえた要領について幾つか挙げてみます。

 

1.主体的に考え行動する姿勢を養うこと(学ぶための意欲を沸き立たせること。)

 受け身ではなく自ら行動することが求められます。

 (例えば、現代世界で大事なのは情報を与えられるのではなく、情報を取りにいくことです。)

 

2.教育要領を暗記型から思考力をつける手法へと変えていくこと。

 自分軸では自身で考えて決断することが求められるため、思考力を養うことが必要です。

 世の中はまず「100%の正解が無い」という事も理解する必要があります。もちろん基礎学力をつけるための暗記は必要になるでしょうが、基礎力をつけてそれを使えるようにしなければなりません。

 

3.評価について、他人軸とならぬよう配慮すること。

 一人一人を認めるのであれば、記述式にして例えば「人の話を聞くことが苦手のようだから、まずは聞くことを意識しよう。」など、必要な力を具体的に示すほうがよっぽどその成長を促すことができます。 自分軸を適正に評価できる手法が求められます。

 一例として、岐阜県美濃市では、全小学校が、1・2年生の通知表を廃止し、その代わりに総合所見を文章にした修了証を手渡しています。日本経済新聞の記事によると美濃市教育委員会は「他の子どもに劣等感を抱くことなく自分の良さを感じてもらえれば」と話しているとのことです。

 

 以上3つの要領が大きく挙げられるかと思います。

 

 またそれ以外に必要と思うことがあります。

 

 人生観あるいは死生観をしっかりと持つということも大切です。

 人はどう生きるか、どう生きていきたいか、なぜ生きるのか、死とはなにか、こういった事について考えをもつことが大切だと思います。

 人としてこの世に生を受けた限り、その意味をしっかりと考えることは、学ぶ意欲、生きる姿勢、自己決断力の向上につながるからです。金銭欲にまみれてしまうことも、他者から惑わされることも少なくなります。また漠然と生きていると、どうしても死の恐怖に煽られやすくなります。それはこのコロナ禍でよく感じました。

(宗教に触れることも大切と思います。盲従することはよくありませんが、それに触れ考えを理解することは人生における気付きとなります。)

 

 道徳・倫理感をしっかりと持ち、そして様々な情報から適切な分析を行う自分の物差しで、モノを見ることが大切です。

 

 加えて、学歴社会という社会システム・構造改善しなければならないでしょう。

 これは鶏が先か卵が先か、の話ともなり、

 社会システムと教育はセットになるからです。

 今の日本の社会システム(構造)が変わらなければ、真の教育改革は困難といえます。結局、「大学に受かるためには暗記は必要だ。そうしなければ良い就職先が見つからず、苦労する、だから覚えなさい。」となるわけです。また単純に入試制度・入試内容を変えれば実現できるという話ではないかと思います。

 現状では極めて難しい問題ですが、、、。

 

 

 以上、列挙してみましたが、私自身もまだ明確な答えは見出せてはいません。もっと研究が必要です。

 

 なお教育現場では「生きる力の育成」や「主体的に学ぶ姿勢」など自分軸で考える人を育成する方向へと徐々にですが進んでいると感じています。

 

 まずはできることからやっていく必要があります。


Ⅵ 摂津市教育大綱の改定

【R8年度からの摂津市教育大綱】

 

 R3年度(R3年度~R7年度)の教育大綱並びに教育振興基本計画改定がR7年度末に行われていました。

 

 上記写真は市長と教育委員会が検討されたR8年度からの教育大綱(教育大綱とは教育理念であり、教育振興基本計画の考えの基盤)となります。

 

 私は前回の決算審議で若狭教育長に「若狭カラーを出して欲しいと。」要望致しておりました。そして、このような素晴らしい大綱を出されたことを高く評価しています。

 教育委員会は、 子供たちが自ら考え、判断し、行動し、自らの意思で未来を切り拓こうとする生きる力を育成する。」とR8年第1回定例会の代表質問で答弁しています。(以前の大綱にもありますが、更に一歩踏み込んだものと理解しています。)

 この事は時代の流れもあると思いますが、大変に意欲的で画期的で素晴らしい一歩になるものと捉えています。

 

 この大綱を打ち出されたことを踏まえて予算審議の委員会で、自分軸と他人軸も合わせて取り上げることにしました。

 

ダウンロード
R8摂津市教育大綱.pdf
PDFファイル 7.7 MB

Ⅶ 議事録

自分軸の育成に関して予算審議の中で取り上げて質疑しました。その内容が以下になります。

 

令和8年3月10日

文教上下水道常任委員会記録

 

質問項目17【教育大綱 基本方針1 子どもたち一人ひとりが、自ら未来を思い描き、主体的に切り拓く「生きる力」を育みます。について】

 

○松本暁彦委員

 続きまして17番目です。同じく教育大綱の基本方針1の「こどもたち一人ひとりが、自ら未来を思い描き、主体的に切り拓く生きる力を育みます」というところです。

 こちらも代表質問で質疑もしましたけども改めて教育にどのように反映していくのかをお聞きしたいと思います。

 

○田中学校教育課長

 続きまして17番目、「主体的に切り拓く生きる力」の見解について御答弁申し上げます。

 変化の激しいこれからの社会において知識や技能を身につけるだけではなく、それを実際の生活や社会の中で活用しながら、自分で考えて、判断して、行動していく力が必要だと考えております。

 子供たちが地域や社会とのつながりを通して学び、体験を重ねるなどを通して、子供たちが自分の考えを持ち、周りの人と関わりながら学びを深めていく、そういった主体的な学びを進めていきたいと考えております。以上でございます。

 

○松本暁彦委員

 続きまして17番目、生きる力につきまして、主体的な学びを育てていくということで理解をいたしました。

 この主体的な力、「こどもたち一人ひとりが、自ら未来を思い描き」っていうところについては、非常に高く評価をしております。大変魅力的で画期的で、すばらしい一歩になると捉えております。

 ただ代表質問でも質疑しましたけども、評価の要領によってはその成果が上がらないのではないかと懸念がございます。会派の代表質問で、自分軸と他人軸という考えを紹介いたしました。自分軸とは自分の心、感情、信念など内発的動機で考えて行動することで、他人軸は他人の期待、社会的な評価、周囲の反応など、外発的動機で考え行動するというものです。

 これはあくまでマクロ的な視点ですけれども、今の日本の教育は自然と他人軸で考える人の育成になっていると私は捉えております。少し説明しますと、そもそも義務教育は、明治維新の富国強兵政策の一環で始まりました。国家に望ましい人材の育成が行われ、戦後においては、GHQの政策等に教える内容が変わったものの、国家に望ましい人材が、高度経済成長期を支えるための社会にとって望ましい人材の育成になっただけで、本質というのは明治から変わっていないと思います。

 その本質とは、すなわち時の政府・統治機構によって、望ましい人材を育成するというもので、国から学習指導要領といった基準が示され、子供たちはその基準を達成するように教育を受けるということです。達成しなければ低い評価がつけられ、子供たちは自然と他者から評価を受け、それに応える行動を取ることになり、これが結果的に他人軸で考えることが求められるということになります。

 また、その評価だけでなく、暗記型の教育も、他人軸の育成につながっていると思います。上から与えられた正解の中で育つと、社会に出ても正解を他者に求めがちです。それは人により政府やあるいはマスコミ、芸能人、インフルエンサー、医者・学者といった権威のあるものと様々だと思います。例えば、バナナが体によいと有名芸能人が取り上げれば、翌日のスーパーではバナナが売り切れる、そういった事象はその典型と私は捉えております。

 その他人軸の社会の中で自らの意思で未来を「切り拓く」力の育成、いわゆる自分軸を考える人を育成していくことを考えたことは、本当に画期的であると述べたのは、そういった認識であるためです。

 その上で、真に自分軸で考え行動できる人を育成するには、日頃の評価はもとより、通知表などの評価も従前から変える必要があると思います。いろいろ確認いたしましたけども、今の通知表は基準を設け3段階で丸、または数字等で示しており、これは一律的で分かりやすく効率的ではございます。

 ただやはり、個々の能力・資質はばらばらで基準を設けて一律に行えばそこに差が生まれるわけです。一定数は低い評価となり優劣が生じます。子供同士で比較して優劣を競い合ったことは、私も記憶にございます。自己肯定感が低くなったり、他者との比較を意識せざるを得なくなります。

 一つ面白い事例を紹介すると、私が中学生のときに通知表にて音楽は5段階評価で2を取ったことがございます。それは私にとって本当に衝撃でございました。それなりに結構真面目にやってきたつもりなんですけど、私に音楽への苦手意識をつけただけで、アフターフォローも何もなく、生きる力の育成に役立ったとは全く思えない自己肯定感を下げたものでございました。ただ、この質疑で事例として紹介できたのが唯一の救いかと思います。

 一人一人を認めるのであれば、例えばですけど記述式にして、人の話を聴くことは 苦手なようだから、まずは聴くことを意識しようなど、必要な力を具体的に示したほうが、よっぽどその成長を促すことができ ます。

 以上、主体的な力をどう正しく評価するか、日々の評価と集大成である通知表、いずれも重要であり検討する必要があるかと思います。そこで現状の評価とあるべき姿について、どのような課題があり、どう解決していかなければならないか、認識を問います。

 

○田中学校教育課長

 続きまして、17番目の通知表に関わる評価の考え方についてでございます。

 「主体的に切り拓く生きる力」は、先ほどの答弁とも重なりますが、子供たちが自ら考え、周囲の人と関わりながら課題を解決する力であると考えております。その力は、通知表だけで判断できるかというと、十分ではないと考えております。通知表はあくまで子供たちの学習状況や行動を、子供たち本人、または保護者に伝えるための一つの手段であり、評価方法の全てではございません。学校では、授業の発言であったり、話し合っている様子、またノートの振り返りの記述など、日々子供の学びの様子を見取りながら、教員が声をかけたり、コメントを書いたりして子供の成長を支えておる状況でございます。

 子供たちが日々の関わりの中で、そういった声かけであったり、コメント等、また友人も含めた、様々な関わりの中で、自分軸で考えること、自分はどう生きていきたいのか、何を学び、何を学ぶ必要があるのかを考え、それが主体的な学びにつながると考えております。 以上でございます。

 

○松本暁彦委員

 続きまして、17番目の主体的な力についてです。いろいろと検討して取り組んでいくというところですけども、やはりこれについては、他人軸の教育ということを伝えました。基準を設けてやっていくのは、基本は他人軸になっていくところにつながっていくというところで、やはり通知表とか日々の評価の在り方をいま一度研究すべきかと思います。実施内容と評価は、やはりセットでございますので、その部分だけが違うということはあり得ないということでございます。ぜひ研究会等を立ち上げるなどのお願いをいたしたいと思います。

 先ほど不登校対策の支援ルームの評価の在り方というのをお聞きしました。振り返る会とかぜひ学校でも導入したらいいんじゃないのかと。不登校対策は、自己肯定感を下げないための取組をすごく意識していると思います。それは、今の学校においても十分に使えるものと思いますので、ぜひそこは学校教育課と教育支援課で、評価の在り方をぜひ意見を交わしていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 自らの意思で未来を「切り拓く」力の育成、いわゆる自分軸で考える人を育成することに、私が大きく賛同するには、しっかりとした理由がございます。それは社会がもっとよくなると期待するからでございます。

 少し説明しますと、私が以前の職で海外派遣に参加した際に、ブラジル軍と仕事をする機会がありました。そのブラジル軍の担当少佐と雑談する中で、日本の社会はシステム化されていてすばらしいと評価されたことがございました。ただ私は、そのときの日本の自殺者が毎年2万人から3万人いたことを認識していたので、そんなに自殺者が多いシステム社会は果たしてすばらしいのか正直疑問でしたが、口には出しませんでした。ただ、返答しないのは悪いので、ありがとう、ところであなたの国はどうなのと返したところ、彼は、ブラジルはカオスだと笑いながら答えたんです。なかなか関西人に負けない落ちだと思いました。

 このやり取りは、世界的に見て日本の社会が高度にシステム化された社会という気づきになり、印象に残っております。

 今の教育は他人の期待・社会的な評価・周囲の反応など、外発的動機で考え行動する他人軸で考える人を育成していると述べましたけども、言うなれば、日本は他人軸で考える人が主流のシステム社会とも言えることができます。

 ただ、このシステム社会を、私はあまり望ましいとは思っておりません。厚生労働省の資料によると、令和6年の日本の10代及び20代の死因の第1位は自殺でございます。これらの年代の自殺死亡率は、G7各国の中でも最も高いということです。世界的に見ても、他の世代でも自殺者が多い現状を私は現システム社会の弊害と捉えております。他人軸の考えでは社会があっての自分でございまして、どうしても社会の歯車として動くことが求められています。システム化されていればなおさらです。それは個人の幸せよりも社会を優先せざるを得なくなり、個人の幸せを犠牲にしやすく、また社会や周りに合わせないと同調圧力を生みやすくなります。

 特に同調圧力については、コロナ禍で明確になりました。これは私の経験ですけど、コロナ禍の終わりに、マスク着用が身体的にできない児童に対する嫌がらせ、地域住民からの心ない言動などに悩んでいる保護者の相談を受け、教育委員会と多々やり取りをいたし ました。その頃には、ウイルスへのマスクの効果が限定的であるとか、科学的根拠もいろいろ出てきたにもかかわらず、皆がマスクをしているからとか、マスコミの情報をうのみにして行動し、他者を平気で傷つける監視社会となり、負の部分がさらけ出されました。

 社会の中でドロップアウトすること、またその同調性についていけないことは誰にでもございます。自分でなくても子供とか、あるいは孫がそうなる可能性がございます。他人軸の考えの人が主流のシステム社会というのは、弱者あるいは少数者、またはドロップアウトした場合リカバリーしづらい、ある意味生きづらい社会と言えます。不登校もその一つと捉えることができます。

 人として生をうけた限りは、個々が尊重されるのが当たり前ですけども、現実的には多くの課題を抱えているわけです。私はこの課題に対して、自分軸で考える人が主になることで克服できるのではないかと考えております。

 自らの信念で行動するということは、当然自分に自信や誇りがあるわけです。自分に自信があれば、他者と比較することもなく嫉妬もないと。他者の評価で一喜一憂することもなく、相手を思いやって相手に合わせて行動できる。かといって同調圧力をかけることもない。自分より弱い相手にマウントを取ることもない。理想過ぎるかもしれませんけども、こういう人が多ければ多いほど平和になることは言うまでもありません。

 もともと日本人が持つ優しさと協調性、そして自分軸の考えとが合わされば、誰しも生きやすいすばらしい社会は確実に実現にできる。そういうことで私はぜひとも応援したいと思っております。

 今回の教育大綱をどう実現していくのか、教育委員会として固定観念を打破していくには教育長の力が必要と思いますが、教育長のお考えをお聞きしたいと思います。

 

○若狭教育長

 評価のところで1点。子供たちへのフィードバック、つまりなぜこのような評価がついたのかが必要なのではないかというお問いがあったんですが、実践している小学校は非常に多いです。学期ごとに通知表を子供たちに渡す場面で、学級担任が時間をかけて、評価の説明と、それから励ましの言葉を行いながら、2時間ぐらい返却に使っている学校もございます。これは一つ情報提供としてよろしくお願いします。

 自分軸というお話がございました。子供たちの課題を考えたときに、自分軸で動けていない、言葉を換えれば主体性が低い、他人任せといいますか指示待ちであり主体性をどうするかという課題があります。もう一つは、当事者性の低さかと私は思っております。自分事として考えられない。現象面としては無関心として出てきてるかと。

 その主体性とか当事者性を考えたときに、今回、市長や教育委員の皆さんと一緒に論議しながら、最終的に市長が定めたこの教育大綱「つながり 未来を拓く せっつの教育」、このつながりっていうところが、非常にいい言葉が並んでいると私は思っています。何とつながるのか、子供たちで考えれば、人とつながるということは、人に関心を持たないとつながることはできないです。人に関心を持つために言葉の力を使いながらつながっているわけです。人に関心を持って理解していく。スマホの画面への関心じゃなくて、本当にあなたに、君に関心を持ってデートするとか、食事を一緒に食べながらとか、そういうときに本当に私たちも含めて、画面に関心を持っていっていないか。人に関心を持つべきだと思っています。これが人とつながる。

 それから地域社会です。地域や社会とつながる。自分はその地域を変えていけるんだ、それから社会を変えていけるんだ、そういう自覚が地域社会への関心やと思うんです。これが社会とつながるっていうことだと思います。

 それからもう一つは、自分の夢とつながる。自分の夢やそれから将来、これにしっかり関心を持つ。これが自分がどう何を頑張ってきたのかっていう誇りにつながっていくと思うんです。そうしたところをしっかり押さえていくことで、「未来を拓く」ことができると。それが教育理念にしっかり表れていると思っています。

 これを基に四つの基本方針、それから九つの基本目標、さらにはそれにひもづけた教育委員会の様々な取組がございます。個々の取組は、それを実現するためにあるんですが、今日は私の理念的なことで少し思いを述べたいと思うんです。

 大事なのは、子供が我が事としてやってみたいと、何でやろうと考えてみる、自分で問いを立てていく、純粋な好奇心かと思っています。好奇心をいかに育むかっていうところが、私たちに問われているかと。いろんな取組の中で純粋な好奇心を子供たちに持たせていく。純粋な好奇心、これを本物にしていくのが、自ら選ぶ、自己選択です。さらにその選んだ結果を背負う、自分で責任を持つ、これが当事者性だと思うんです。言うなれば、純粋な好奇心、やってみたい、考えてみたい、どうしてだろうと思うのが物事を進めるためのエンジンであって、自己選択とか結果に責任を負うっていうのがハンドルと考えれば、エンジンとハンドルがあれば、自分の行きたい場所に自分の考えたルートで、しっかり到達することができる。これが主体性かと。ドライブ、これこそが主体性かと思っています。その好奇心をしっかり育んでいくために、いろんな取組の中で、考えないといけないことは三つだと、私は考えました。

 一つ目は、やっぱり失敗が許される。心理的安全性って今よく言われてますけど、何をやっても大丈夫だと、自分の思ったことをまずやってみる、実験してみる、それがこの集団は許してくれるっていう心理的安全性。

 それから正解主義とか、正答を求め過ぎるっていう課題をよく聞くんですけれど、正解を急がない余白、試行錯誤をいっぱいしてもいいという余白。

 それからもう一つは、本物とか、見たことがない未知のものに出会う経験、何やあれはというところが好奇心をどんどん広げていく。だから、去年もこうやったからとか、150年間学校はこういうふうに進めてきたからという前例踏襲でいくと、そうした好奇心はこれ以上広がっていかないと思うんです。

 二つ目は当事者意識。当事者意識は自己選択と自己決定の場をどれだけ保障するか。指示じゃなく、命令じゃなく、子供たちが選ぶ、決定する場、機会をどれだけ保障するか。試行錯誤する時間的な保障をどうやって確保していくか。それで、子供たちの当事者意識は高まっていくと思います。

 三つ目が、先生自身が好奇心と当事者意識を持つ。当たり前、つまりこれまでこうやってきたからじゃなくって、こうやったら面白いん違うかとか、自分が本当に興味のあることに、失敗を恐れずやってみる。教育委員会と論議しながら、いやうちの学校はこうしたいっていう当事者性を出す。これをまず先生方、教育委員会が実践することで、子供たちの好奇心を、当事者性を広げていく。これをいろんな取組でスパイスとしてちりばめていきたいと思っています。そこで本当に教育理念が生かされてくると思っています。

 評価に限らず、取組の中で自分軸、これを意識して進めてまいりたいと思います。以上です。

 

○松本暁彦委員

 最後です、17番目の主体的なところです、教育長の思いというものは理解をいたしました。当事者意識、本当にこれは主体的な考えと本当に一致するんでしょうね。

 先ほどもありましたけど、人がなぜ生きるのか、生きたいのかっていうところ、そもそものそこがないと主体的な考えを持ったとしても確かに動かないのかとは思います。失敗が許されるとか、正解のないものとか、本物、未知のものに対する好奇心というか、本当にこれっていずれも数字では表せない力だと理解をいたします。今のお話は本当にすばらしいと思いました。教育長自ら全ての学校に回って説明していただきたいぐらいの思いです。ぜひ、今、部長も課長も聴いていたので、そのまま以心伝心で伝えることができるかと思います。教員一人一人がしっかりと認識をして取り組んでいただきたいと思います。

 補足なんですけども、私は先ほどシステム社会と言いました。システム社会自体は効率的で否定するものではなくて、カオスよりもずっとよいと考えております。ただ、人々が社会の効率化のための歯車になるんではなくて、個々の幸福の追求の結果、自分の役割を見いだして力を発揮して、それぞれが組み合わさって効率化した結果のシステム社会が望ましいと考えております。

 自己犠牲という言葉があります。これはときと場合によりますけど、他人軸の考えの人が占める社会では美談として扱われやすいです。あるいは求められやすいです。私も自衛官のときは他人軸の考えばりばりで、自分の時間を相当削って職務に従事をしておりました。まさに自己犠牲の塊でしたけども、組織的にもそれが当たり前だという風潮もございました。今は変わってるかもしれませんけど。ただもうこれ以上は無理だと思うことになり、結果としてここにいるわけでございます。自己犠牲を必要としない社会、これも大事でございます。

 私はコロナ禍で、日本社会のいびつさを再認識して、それを分析する中で自分軸と他人軸という言葉・概念に出会いました。言葉は不思議なもので、その言葉によってその概念を理解できれば、考えてその行動を取ろうとすることができます。語彙によって思考力が変わるというのは事実でございます。

 国が変わらないとできないこともありますけども、ぜひ摂津市として教育長の思い、そしてまた教育委員会として一致団結して、子供たちのために先駆者として、主体的な力、そしてこの教育大綱の実現に向けて取り組まれるように要望いたしまして、私の質疑を終わります。ありがとうございます。

 

以上

(※一括質問、一括答弁のところ、把握しやすいように一項目ごとに分けて記載)

 

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代表質問

 R8年度第1回定例会にて、同内容のことを質疑しています。その市の答弁について概要を記載します。

 

1.生きる力の育成について

 急速に変化し予測困難な社会において、これからの教育には、単に「正解」を暗記する知識の習得にとどまらず、課題を発見し、自ら問いを立て、解決方法を考え、その方法の中から自己選択・自己決定を行い、実行していく力を育むことが重要である。

 その育成には、子供たちの意欲をいかに高めるかが鍵となる。学校生活や地域での様々な経験や学びを自分自身の人生や社会のあり方と結びつけながら、「なぜ学ぶのか」「自分はどう生きたいのかを考える機会を意図的に作ることが必要である。

 子供たちが自ら考え、判断し、行動し、自らの意思で未来を切り拓こうとする生きる力を、地域とともに育んでまいる。

 

2.学習評価のあり方について

 学校生活において、教員は学習活動のみならず、日々の関わりの中で様々な評価を行っている。とりわけ、学習評価は、子供たちの学びの状況を適切に見取り、その成果や努力を価値付けることで、自らの成長を実感させ、次への挑戦に繋げる重要な役割を果たすものと捉えている。

 そのため学習評価にあたっては、評価基準を事前に共有し、学習の狙いや到達目標を明確にすること、さらに結果のみならず学習過程を重視することが大切である。

 教育委員会としては、学習評価が子供の主体性と意欲の向上に繋がるとともに、教員自身の授業改善にも資するものとなるよう、研修等を通じて評価の充実に努めてまいる。


Ⅷ まとめ

 

 繰り返しにはなりますが、これはあくまでもマクロの視点での内容となります。

 (個別ケースで違いはある事は認識しています。あくまでも社会全体を捉えて述べています。政府・マスコミ・芸能人・学者・医者等全てが批判対象というものではありません。)

 

 私はコロナ禍で日本社会のいびつさを再認識し、それを分析する中で自分軸他人軸という言葉・概念に出会いました。

(言葉は不思議なもので、その言葉によってその概念を理解できれば、考えてその行動を取ろうとすることができます。語彙によって思考力が変わるというのは事実です。)

 

 そして分析をする中で、「日本は他人軸で考えて行動する人が主流のシステム社会」という言葉が出てきました。

 

 そして、本当に人々にとって望ましいのは「自分軸で考えて行動する人が主流のシステム社会」という結論となりました。

 

 繰り返しにはなりますが、私は人々が社会の効率化のための歯車になるのではなく、個々の幸福の追求の結果、自身の役割を見出して力を発揮し、それぞれが組み合わさって効率化した結果のシステム社会が望ましいと考えています。

 

 「自己犠牲」という言葉があります。これは時と場合によりますが、他人軸が主流の社会では美談として扱われやすく求められやすいです。私も自衛官の時は他人軸の考えばりばりで自分の時間を相当削って職務に従事しておりました。まさに自己犠牲の塊ともいえます。組織的にもそれが当たり前という風潮もありました。(今は変わっているかもしれません。)

 「自己犠牲」を必要としない社会、これもまた望ましいといえます。

 

 「自分軸で考えて行動する人が主流のシステム社会」へ向けて、国が変わらないとできないこともありますが、子どもたちのため、摂津市が先駆者となるよう、議会にて引き続き提言して参ります。


Ⅸ 関連リンク